少子高齢化について

Sydneyの海岸沿いにあるお墓は、白い墓石が青い空と海に映えて美しく、陰鬱な感じが全くありません。

お墓と言えば、この2年半ほど葬儀に参列していません。栗原の田舎に住んでいれば当たり前にある親戚やご近所の不幸(死)ですが、東京と豪州では交友関係が狭いので、そういう機会がないのです。生と死を身近に感じられる田舎の暮らしは、命と人生の大切さ、家族の将来を考える時間に向き合えるので、良いことだと思います。

さて、実家のある栗駒文字の集落は少子高齢化が極端に進み、日本がこれから迎えるであろう急激で極端な人口減少社会を先取りしています。実家を含めた10軒中で子どもがいる家庭はわずか3軒。20~30年後まで存続している可能性のある家庭は数軒にとどまり、50年後は集落が消滅している可能性が高いです。

最近、「未来の年表 人口減少日本でこれから起きること」という本を読み、自分の認識の甘さと不勉強さに恥じ入りました。これから迎える急激な社会の変化は、小手先の政策でどうにかなる次元ではありません。これまで当たり前だと思っていたことが継続できなくなり、意識を変えなければ、大きな負担と痛みを分かち合う覚悟が求められます。

これから団塊の世代が次第に消えていきます。人口減少著しい僕の集落では、僕も40代前半で葬儀の司会を務め、50代で葬儀委員長を任せられ、60代早々に棺桶に入って見送られる!?という未来予想図です。

大変な時代を迎える直前で逃げ切る団塊の世代の皆さんは、健康に気をつけQuality of lifeを高めて社会保障費を抑制しつつ、(後は野となれ山となれではなく)将来を担う若い世代が少しでも希望を持てるようにしてから逝ってくださることを願います。

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