北朝鮮情勢と歴史の方程式

昨日、長女の保育施設へ行った時、日本に関連して北朝鮮情勢の話題になり、ある豪州人の方から日本をとても心配していると言われました。

原爆や水爆、ICBMの保有を誇示する北朝鮮に対し、米国は国連の安保理で北朝鮮への石油輸出禁止の制裁を決議しようとしてますが、この流れは太平洋戦争にいたる大日本帝国と米国に似ているように思います。
相手が到底のめない要求を突きつけ開戦させるのはよくあることで、日本もかつて同じように追い詰められ、自殺を覚悟で乾坤一擲の勝負に打って出ましたが、自殺を覚悟した人は無敵で何をしでかすか分からないのだから恐ろしい。そして、自殺を覚悟した北朝鮮が破れかぶれで核を使うなら、その標的は米国や韓国でなく日本の可能性が高いという専門家の指摘も頷けるものがあり厄介なお話です。

僕は決して北朝鮮の肩を持つつもりはありませんが、そもそも北朝鮮の非核化なんて、冷静に考えれば北朝鮮を責める方にも非があります。既に核兵器を持てる者が持たざる者に、丸腰でいろというのは無理があります。だからと言って、北朝鮮が核兵器を持つことには反対です。韓国でも核武装論が出始めていますが、北朝鮮の脅威を目の当たりにしたら当然でしょう。
ちなみに、日本にしてみれば、原子力発電所がある以上、北朝鮮は日本を射程距離に収める通常兵器を配備するだけで核兵器を保有しているのと同等の危険な状況です。

のんびりした豪州人でさえも日本への渡航を心配している中、日本人の多くは未だに平和ぼけしているようで、日本が手を出さなければ相手は決して攻撃しない、なんていう自己中心的な性善説の発想を持っている幸せな方が多いのはご愛嬌でしょうか。日本は当事者にもかかわらず、あたかも部外者のように事なかれ主義でいる方が多いようで、国際社会の現状を見たら、現実を直視せず浮世離れしていると思われても仕方ありません。
日本が好むと好まざるとに関わらず、北朝鮮と中国の軍事的脅威は高まり、中東では戦争が止むことなく、欧州のTerrorismによる事件はもはや戦争の様相です。安保関連法の背景には、そうした状況下で日本がいつ戦争に巻き込まれても不思議でない現実があるからで、首相憎しの思いだけで北朝鮮の肩を持つ方がいることに驚きを隠せません。
北朝鮮情勢はよく分かりませんが、日本から離れたまともな主権国家に住んで冷静に祖国を見つめると、日本は有事の準備がいかにできていないかと強く思います。

さて、世界史を少しでも学んだ者なら誰にも分かる歴史の教訓は、国防を傭兵に頼る国、食糧生産を他国に依存する国、平和を盲信する国は、必ず征服されるという歴史の方程式。この3つのうち日本はいくつ当てはまるでしょう。
そして、東日本大震災と福島原発事故で身を持って味わったように、想定外のことは起こりえるもので、この世の中にありえないはありえない、という事実。それは天災に限らず、戦争だってしかり。1950年の朝鮮戦争なんて、今よりもっともっと可能性の低い状況で起こり、油断しきっていた韓国はどれだけ犠牲者を出したことか。イラクによるクウェート侵攻だって記憶に新しいところです。

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