南太平洋の戦跡を巡る慰霊の旅 2日目

この日はSolomon Islandsを後にして、HoniaraからRabaulへ移動します。午前中の便でPort Moresbyへ飛び、を経由して夕方にRabaulへ到着の予定です。

首都Honiaraは、人口7万人弱の小さな街です。
市街地中心部は2~3階建てのRC造の事務所や商店等が並び、街らしい景観です。
首都の中心部でも御世辞にも清潔とは言えず、malariaを媒介する蚊が大量発生しそうな場所がたくさんありました。
住民の衣服は簡素なもので、多くの人が裸足または草履を履き、靴を履いている人は希です。

朝の通勤通学時間帯は道路がとても混雑して渋滞が発生していました。見かける自動車はほとんどは日本製で、とても古い日本の中古車です。30年以上も前に発売された自動車もたくさん見かけました。
交差点は豪州と同じように環状交差点で、通行者は譲り合います。横断歩道はないようで、道路を横断する人々は、行き交う車の間を縫うように歩いています。
道路は穴だらけで路面状態がとても悪く、速度を上げることが出来ないため、速度超過で走行する自動車は見かけません。
この国には信号が1基もありません。電力事情が不安定な島では、信号機が稼働できないのかもしれません。

第38師団川口支隊歩兵弟124連隊
第38師団は、1939年(昭和14年)に新設、名古屋で編成され、中国戦線の華南に進駐。1942年(昭和17年)に蘭印作戦に加わりJava島攻略を行い、その後に餓島へ投入され大きな損害を受けました。
歩兵第124連隊は、1942年(昭和17年)8月、一木支隊潰滅後に餓島奪回のため投入されます。飢餓と病気に苦しめられながら半年以上も飛行場争奪のため戦闘を継続し、多大な損害を被りました。

第38師団川口支隊歩兵弟124連隊の鎮魂碑には、以下の文字が刻まれています。

川口支隊
歩兵第百二十四聯隊
鎮魂碑
昭和十七年八月末以来六箇月にわたり 
祖国日本を遠く離れたこの南溟の地で 
優勢な連合国軍の猛攻の下 撃つに弾
無く食うに糧無く 極限状態の惨状は
まさに言語に絶するものであった
その犠牲となった
川口支隊三千百七十九柱の御霊の安ら
けきを祈り ここに鎮魂の碑を捧ぐ

餓島の戦いは、初期の混乱による犠牲は仕方ないにせよ、その後は日本軍の体質的というか本質的な欠陥が露呈し、合理的な判断が出来ず、その後の悲惨な敗戦を象徴するような状況に陥りました。
陸海軍の協力体制の欠如、辻政信参謀のような兵士の人命を軽視した高級将校の無謀な作戦、現場を無視した大本営の面子や意地等の悪い要因が重なり、早期の撤退を決定できず徒に損害を出してしまいました。
敵より味方によって殺されたと言えなくもありません。
この地で戦闘でなく、飢餓や病気で命を落としてしまった兵士や軍属の無念さはいかばかりだったでしょう。

Lunga飛行場の西側を流れるLunga川。この川の上流で激戦が繰り返されました。

日本軍による同島奪回作戦「キ」号作戦に投入され、司令部の情報不足と敵戦力の軽視により、包囲殲滅された不運な一木支隊のことはあまりに有名なので、ここでは改めて書きません。

Honiara国際空港に到着しました。
この空港の原形は、日本軍によって建設されたLunga飛行場です。
この小さな飛行場をめぐり、日米両軍が熾烈な戦闘を繰り広げました。
米軍が1942年8月7日占領し、米軍占領後は海兵隊の飛行隊長Henderson少佐の名前をとって、Henderson Fieldという名称に変わりました。
その後、同国の国際空港として、現在の名称に変更されました。
現在の空港は日本の支援で建設されたものです。

空港前の広場には、日本・Solomon友好協会がSolomon政府へ寄贈した「平和の鐘」があります。また、日本軍の高射砲と米軍の記念碑などもありました。

少し離れた記念公園には連合国軍の墓があり、それらの説明を受け、案内してもらいました。

搭乗手続きの時間が迫ってきたので、空港内に入り、Papua New Guineaの国営航空会社Air Niuginiの窓口へ向かいました。
ここで、2日間案内してくれたguideに感謝し、記念撮影をして別れました。
第2師団の足跡についてしっかり説明してくれました。
少し訛りのある英語ですが、聞き取れました。

ここまではすこぶる順調な旅でしたが、突然ここから歯車が狂いだし想定外のことが起き始めます。

窓口で航空券を発券してもらうべく、氏名を告げ旅券を提示すると、担当者は端末を何度も操作して首を傾げています。
何か嫌な予感すると不安に思っていると、「お客様は予約されていません」と予想外の一言。
僕は代理店を通さず、Air Niuginiのweb siteから直接予約していることを説明し、予約されていないはずはないと自信をもって話しましたが、担当者は「お客様の情報は登録されていません」の一点張りです。

ここで、僕はもしかするとPapua New Guinea行きの飛行機に乗れないのではないかと、不安がよぎります。
Solomon諸島からPapua New Guinea行きの飛行機は、週に2便のみの運航なので、日本への帰国間際で時間の制約がある僕にとって、この便を逃すと僕の旅は途中で終了してしまいます。
しかも、Papua New Guinea行きを諦めたとしても、同じように豪州へうまく帰国できる保証もありません。
そのため、予約した際の証拠書類を提示しなければと、焦りながら探します。
運悪く携帯電話がつながらず、mailが開けません。
そこで紙に印刷した予約票を探しました。
最近はElectronic Ticket(電子航空券)が主流で、豪州国内はQantasをonlineで予約を済ませると、航空券を発券する際に旅券を提示するだけで済みます。また、携帯電話のapplicationにより、航空券を発券することすら必要ないため、予約票すら印刷しないという習慣が身についてしまっていました。
今回はこういうこともあろうかと、念のため予約した際の書類を印刷して持参していました。
これでもう安心だと、担当者へ提示しますが、担当者は予約票を本部に確認すると告げ、奥の部屋に消えて出て来なくなりました。
搭乗時間にまだ余裕があるというものの、担当者はさっぱり現れず、時間が刻一刻と過ぎて不安と焦りが募ります。
待てど暮らせど担当者は来ず、搭乗時間が迫り焦ります。
しびれを切らして窓口で催促したところ、ようやく担当者が現れ、航空券が発行できると聞き安心しまいた。
担当者が言うには、僕の情報は登録されていなかったらしく、新規で発行手続きが行われました。

予約票があり、代金もcredit cardで清算済みにもかかわらず、そんな滅茶苦茶なことはないだろうと思うのですが、Air Niuginiでは決して珍しいことでないようです。
僕は「信用の低い代理店を通したら不安だから、Air Niuginiのweb siteから直接予約したんだけど…」と担当者へ伝えると、驚きの一言が返ってきました。
「Air Niuginiは信用できないから、代理店を通さないとだめでしょ」
これには絶句です。
従業員が自社をそのように評価し、客に公言している企業とは、いったいどれほどの企業なのでしょう。日本人の感覚からすると、全く理解できかねますが、世界には多様な価値観があることを改めて学びました。

搭乗前にHoniara国際空港を何度も見渡し、日本軍の激戦の様子を想像しました。

何だかんだ心配しましたが、なんとか搭乗でき、搭乗機はSolomon諸島を飛び立ちました。

上空から餓島を眺めると、ここが80年前には激戦地だったとは信じられません。
餓島で命を落とされた日本人に対し心の中で手を合わせ、搭乗機はPapua New Guineaへ向かい、Solomon海を真西へ飛びました。

Papua New Guinea

この日の予定は、Solomon諸島の首都HoniaraからPapua New Guineaの首都Port Moresbyへ向かい、国内線に乗り継ぎ、Hoskins経由で最終目的地のRabaulへ至ります。
お昼前にHoniaraを飛び立ち、夕方にRabaulへ降り立つ予定でした。

今回の旅の目的地はRabaulで、首都Port Moresbyを観光する予定はありません。
海外を旅する時、その国の首都を訪れてみたいものですが、Papua New Guineaに限っては全く興味を示さないばかりか、避けたいとすら思っていました。
というのは、この都市は治安がとても悪く危険なためです。
世界の首都の中でも特に治安が悪いことで有名で、強盗、強姦、殺人等の凶悪犯罪が日常茶飯事のように発生し、世界で最も危険な都市番付けの常連となっています。
Rascalと呼ばれる、名前は可愛いけどその実態は極悪非道な武装強盗団が凶悪犯罪を繰り返し、警察は十分に機能していません。
この国は、特に女性にとって最悪とされ、同国の女性の70%が生涯に強姦されるという信じられない統計(推計)があります。

外務省は同国への渡航について、「危険なので十分注意してください」という勧告を出しています。
以下、外務省の「危険情報(2018年11月29日時点)」を転載します。

(1) パプアニューギニア(以下PNG)では依然として失業者や生活困窮者が多く,これら困窮者や失業中の若者グループによる金品強奪を目的とした犯罪が頻発しており,治安が悪化しています。犯行の手口は,複数の若者が「ラスカル」と呼ばれるひとつのグループとなって,蛮刀,ナイフ,銃または手製銃などを使用したものが多く見られます。また,首都特別区及び主要都市部では物価の高騰が進行しており,一方で失業者や不法居住区の数が増加しているため,これらの者が犯罪を行うという悪循環が生じています。
(2) PNG警察機構は,人員や予算不足等の理由で十分機能しておらず,犯罪者の検挙率は極めて低く,犯罪の抑止を期待できない状況です。さらに,各地で頻繁に脱獄事件が発生しており,脱獄犯が犯罪を繰り返しています。
(3) PNGでは,女性の地位が低く,レイプ等の性犯罪が増加しており,社会に深刻な影響を与えています。
(4) 数年おきにコレラ・赤痢・腸チフスなどの腸管感染症が散発的に流行しています。これらの感染症は,経口感染するので,飲料水および食事内容に十分注意する必要があります。

こんな物騒な国(都市)には長居したくないと思いつつ、Rabaulを訪問するには国内線に乗り換えなくてはならないので、首都に必ず降り立つ訳ですが、犯罪に決して巻き込まれないように細心の注意を払うつもりです。
というのも、安全と言われる国際空港内でもかつては銃撃事件が発生したり、国際線から国内線へ移動するための通路でも犯罪が発生していたからです。

ちなみに、治安が全体的に悪い同国ですが、際立って悪いのは首都で、Rabaul等の地方は比較的安全とされています。
RabaulがあるNew Britain島で注意すべき点は、火山活動が活発なため、頻繁に発生する地震や火山活動です。直接被害が無くても、空港が一時閉鎖され航空機の運航が取り止めとなることもあるようです。

HoniaraからPort Moresbyまでの飛行は順調そのもの。
Solomon海と島々、New Guineaの地形を眺めていると、首都にあるPort Moresby Jacksons国際空港にあっという間に到着しました。

この国際空港は、Honiara国際空港とは比べ物にならないほど予想以上に綺麗で、Cafeもあり、いたって普通の空港でした。
空港の職員や利用客を見る限り、治安が悪いような雰囲気は感じられません。
入国にあたり事前のVisa取得は不要で、到着Visa(Visa on Arrival、VOA)で対応でき、観光の場合は手数料も不要です。
入国審査は厳しくなく、入国すると国内線乗り換えのため国内線terminalへ移動します。

かつては、国際線terminalから国内線terminalへ移動するためのわずか100m程度の通路で強盗が発生していたそうで、緊張しながら歩きましたが、利用者は皆のんびりしており、強盗が出没するなんて想像できない長閑な雰囲気でした。
行き交う人々は肌の浅黒い現地人と思われる方ばかりで、ここでは自分が外国人であることを強く実感させられます。
日本人の姿は全く見かけません。空港内の表示板は英語ですが、国内線terminalの入り口近くに、なぜか一つだけ日本語の表記がありました。珍しいと思い、写真を撮っておきました。奥の国内線terminalの入り口で警備していた職員が笑顔で手を振っていました。この1枚の写真が予期せぬ不快な結果を招くことになろうとは想像できませんでした。

国内線terminalに入るためには、入り口でまず荷物のX線検査を受けます。
その後、警備員から持ち物の質問などを受けて、問題なければ中へ通してもらえる仕組みで、とても厳重でした。
12:50にPort Moresbyに到着し、Hoskins行きの国内線の出発時間は15:10なので、空港内では特にすることもなく時間が十分にあります。売店などもなさそうな搭乗口へすぐ向かわず、人気のない待合室の奥で時間つぶししようと椅子に腰かけ、写真を整理していました。
しばらくすると、暇そうな警備員が僕の隣に腰かけ、気さくに声をかけてきます。良く見ると、国内線terminal入り口にいた警備員でした。僕も暇だったので、世間話に付き合っていると、途中から妙なことを言い出します。
「君はさっき国内線terminalの前で写真を撮影していたけど、あそこは撮影禁止なんだよな」
僕は面倒な奴だと思い、「本当か? それなら撮った写真を消去しておくよ」と言いました。
すると、それまで機嫌よく話していた警備員が怒った口調になり、「お前は規則を破ったから罰せられることになる」と脅してくるではありませんか。
僕は「冗談も大概にしろ !」と笑って返しますが、警備員は目が据わり「警察に行けば高額の罰金を支払うことになる」と攻撃的な口調で言います。
こんな奴は相手にしないに限ると思い、無視しようとすると、「本来はお前を警察へ連行しなくちゃならないんだが、特別に見逃してやっても良い」と都合の良いことを話してきました。
僕はここでようやく強請られていることに気がつき、どうしようか思案しました。こんな奴の言いなりになると日本男児の股間に、否、失礼、沽券に関わると思い、強気に出ることにしました。
「どうすれば良いのか?」と聞くと、「金を出せ」と言います。
「あいにくだが、豪州からやってきて現地通貨に両替してないから全く金が無いんだ」と突き放すと、相手は執拗に食い下がり、豪州$を寄こせと言います。
押し問答を何度も繰り返し、埒が明かないと見た僕は、他の警備員に助けを求めようかと辺りを見回すと、奴の仲間と思われる警備員はにやりと薄ら笑いを浮かべていました。
そこで僕は、警備員が全員ぐるになって人を陥れているのだと気がつきました。
侍の矜持を見せてやりたいところですが、全員が共犯ではいくら騒いだところで意味もなく、不利になるのは僕の方です。今回は回避したとしても、復路でまた捕まり、どんな嫌がらせを受けるか分かりません。

とても腹立たしい限りですが、反抗して国内線に乗り継げなくなったり、勾留されたら元も子もないので、奴等の要求をのまざるを得ません。
でも、全て言いなりになるのは嫌だったので価格交渉をすることにしました。
相手は100$出せと言ってきかないのですが、僕はそんな大金を持ってないと何度も言い、価格を引き下げようと粘ります。不毛な議論を繰り返していると、相手も痺れを切らして50$で決着することになりました。本当に腹立たしい限りですが、50豪州$を渡すと相手は満面の笑顔で喜んで引き下がりました。僕はこれ以上の面倒に巻き込まれるのはご免だと急いで搭乗口に向かいました。

警備員は雇われた民間人か、政府の職員か分かりませんが、腐った性根に呆れます。強請られた金は大金ではなく、命を取られず幸いと、安い勉強料だと思っていますが、ここで僕が要求に屈して金を払ってしまったことで、奴らが日本人から金を巻き上げるのは簡単だと思いこませてしまったら嫌なことです。

この日は、豪州など先進国では決して体験しないであろう、冷や汗をかく腹立たしい思いを半日で2回も味わわされ精神的に疲れてしまいました。ふたつとも酷い話で、一般的に真面目な日本人なら到底許せないような出来事だったのですが、噂に聞くPapua New Guineaの実態がよく分かる体験が出来たことは良かったし、経験値を上げられたと僕は前向きに受け止めていました。でも、不幸というものは続くものらしく、これだけに留まりませんでした。

Hoskins行きの出発時間まで、たっぷり時間があるため、搭乗口の待合室で現地の飲料を購入して、ゆっくり待っていました。待合室はとても混雑しており、空席はほとんどありません。僕の隣の席には、たくさんの徽章を付けた立派な制服に身を包んだ軍人らしき壮年が腰かけました。この方はとても話し好きらしく、僕に向かってやたらと話しかけてきます。警備員と気軽に会話した結果に懲り、現地人を信用できず、会話したくなかったのですが、話し好きらしくしきりと話題を振ってきます。この方は刑務所の所長らしく、僕が豪州で国際関係の仕事をしていると伝えたところ、この方が抱える問題などをたくさん吐き出し、何か力を貸してくれないかと相談されました。僕は任期を終えて帰国するばかりなので、あいにく何も力になれずご免ようと伝えましたが、そんな返事にはお構いなしのように話してきます。話し相手がおらず寂しい方なのでしょうか。警備員のように悪い人ではなさそうなので、暇だった僕は飽きずに相手の話を聞いてあげました。

そのうち、搭乗予定便の搭乗時刻になりましたが、さっぱり案内がありません。
発着便の電光掲示板も確認しますが、表示がさっぱり変わらず、いつになったら乗れるのだろうかと待ち草臥れていました。うとうとしていると、ようやく放送が流れ耳を傾けましたが、「機体整備中なので暫くお待ちください」というだけで期待外れです。

経由地のHoskinsで、Rabaul行きの便への乗り継ぎ時間は40分しかありません。
Rabaulまで行く利用者が多いと思うので、接続を考慮してくれるものと期待しますが、当日中にRabaulまで辿り着けるか不安になります。待てど暮らせど、搭乗開始の案内はなく、しびれを切らした僕は係員に何度か尋ねますが、機体整備中と言われるばかりです。穏やかではない胸の内を隠せぬまま待っていると、ようやく案内がありました。これでやっと出発できると思ったのも束の間、なんとHoskins行きは欠航しますと言うのです。ここまで待たせておいて、それは無いだろうと怒り心頭です。

明日の朝までRabaulに到着できないと、今回の旅の一番の目的だったRabaulを見て回ることが出来ません。Rabaulを訪問できるのは、これがおそらく人生最後の機会です。この機会を絶対に失いたくありません。

僕はAir Niuginiの窓口に真っ先に駆け寄り、担当者に詰め寄りました。担当者は、「明日の早朝に臨時便を用意するので、それに振り替えさせて欲しい。今日の欠航はAir Niuginiの責任なので、今夜はPort Moresbyで宿泊場所を提供します」とのことでした。この調子だと明朝の便もどうなるか不安ですが、とりあえずRabaulには辿り着けるとのことで、最悪の事態は回避されそうです。
でも、到着時間が問題です。僕はRabaulでtourに申し込んでいて、その出発時間に間に合わないと意味がありません。到着時間はtour出発時間より遅い予定で、この時点でもう旅行会社の終業時刻になってしまったので連絡がつかず、tourに参加できない可能性が大でした。Tourは当日の申し込みでは無理そうなので、空港のTaxiでも拾って巡ることも考えましたが、成否は分かりません。納得できないので、tour代金の補償もして欲しいと要求しましたが、それは後ほど専門の担当窓口に相談して欲しいとのことでした。
取り急ぎ、明日の振替便の航空券と、今夜の宿の宿泊券を受け取ると、旅行会社に電話します。Tourの担当者と他の客を待たせる訳にはいかないので、なんとか繋がって欲しいと願いますが、なかなか応答しません。何度も電話するとようやく繋がりました。ただし、電話回線の品質が悪く、音声が聞き取りにくい上に、相手の英語も聞き取りにくいので苦労します。Rabaulのtourを時間変更して対応してもらえるか聞いてみると、客は僕一人だけなので問題ないとのこと。不幸中の幸いでした。念願だったRabaul巡りがなんとか出来そうなので、ほっと一安心です。

ここで冷静になって考えると、新しい不安が出てきました。Rabaulのことばかりに気を取られ、Port Moresbyに宿泊を余儀なくされることを気に留めていなかったのです。飛行機の乗り継ぎのため空港だけを利用し、市内に入ることすら絶対に避けたいと思っていた首都に泊まる羽目になってしまったことを不安に思いました。宿泊するhotelがどんな宿なのか、情報が全くありません。Hotelへの送迎中や宿泊中にRascalなど武装強盗団に襲撃され、金品を強奪されたり、最悪の場合、生命を取られるかもしれないという心配が出てきました。

送迎の車が来るまで、指定された場所で待ちます。外国人は僕一人のようで、全員が現地人のようでした。皆がとても疲れたような表情で、言葉を交わす人もいません。しばらく待つと、担当者が現れ空港入り口の送迎場所へ誘導されました。入り口では僕から50豪州$を強請った警備員が神妙な顔で立っていました。僕は目も合わせず、急いで車に乗り込みます。この件のために、しばらく写真を撮る気が起きませんでした。

送迎車はTOYOTAのHIACEで、運転手の他に助手席にhotelの担当者と思わしき人が同乗しています。この国は治安が悪いため、車は1人で運転せず、警備要員が同乗するのが一般的なのだそうです。車輌の窓は、最前部以外は全て黒く塗られ、外から内部が見られないようになっています。Hotelの送迎車は、一般的に宣伝のために自社名を大きく表示するものですが、この車は名前など全くなく、何の用途に使われているか一見しても分かりません。強盗の襲撃を警戒していることが良く分かります。

乗客の人数を確認したら、車はすぐ出発しました。空港から市内へ続く幹線道路は立派に整備されています。車窓から見える建築物は、Solomon諸島のそれとは比較にならないほど近代的なものばかりでした。幹線道路沿いは、発展途上国とは思えないくらい発展している印象がありました。でも、しばらく走っていると、大きな建築物には見慣れない物があり、どの建築物にも出入口には多くの人が屯っている異様な光景があることに気がつきました。企業や工場など大きな建築物は、頑丈な高い柵や塀で守られています。その高さは最低3m以上で、高いものは5mもありそうです。また、柵や塀の最上部には槍のような鋭利な突起物が埋められ、人が容易に侵入できない仕組みです。出入口には警備員と思われる人が何人も警備しており、多いところでは30人もいました。どれだけ物々しい警備なのでしょう。もはや要塞のようです。治安の悪さを裏付けるような光景に、不安が募ります。

送迎者は空港から約10kmほど走行し、Newtownと呼ばれるPort Moresby港がある半島の高台にあるCrown Hotel Port Moresbyという当地では高級の四つ星hotelに到着しました。入り口は3m以上の頑丈な柵と複数の警備員に守られています。このhotelは治安が比較的良い地域に立地しており、犯罪は少ないそうですが、警備は厳重で物々しい雰囲気です。

建物と設備は立派で、港やEla Beachなどを見下ろす高台にあるため眺めは良いです。治安がそれほど悪くないと聞いたので、外を少し散歩したくなりました。受付で聞いてみると、hotel周辺なら比較店安全とのことで、最小限の持ち物だけを身につけて外出します。急な坂を下り、南側のWalter湾に面するEla Beachへ行ってみることにしました。

Port Moresbyでは2018年秋にAPEC首脳会議が開催され、日本から安倍晋三内閣総理大臣が出席しました。APEC開催のためPort Moresbyは整備され、景観が改善するだけでなく、犯罪もだいぶ低下したそうです。僕が向かっているEla Beachは、首脳会議のためのAPEC Hausが建築され、重点的に整備された場所で先進国のような雰囲気でした。住民は思い思いに無邪気に遊んでいました。

Beachへ向かう途中、立派な体格の一人の中年男性が話しかけてきました。空港の警備員に懲りているので、僕は思わず身構えて距離を取ろうとします。その男性はそんなことお構いなしに距離を縮め、気安く会話しようと、いろんな話題を振ってきます。僕はすぐに離れたい一心で、その気持ちを満面に表しますが、日本人と異なり空気を読む文化のない同地では全く気付いてくれません。話を聞いてみると、悪い人ではなさそうで、家族のことなどを話してくれました。僕は興味本位で首都の治安や犯罪などを根掘り葉掘り聞くと、しっかり答えてくれました。30分以上も話し込み、薄暗くなってきたので、いい加減に僕も宿に戻りたいと思いますが、なかなか帰してくれません。しびれを切らした僕は、適当な理由をつけて急ぎ足で元来た道を引き返しました。

Hotelの門をくぐると胸を撫で下ろしました。何も無かったから良かったものの、ちょっと軽率だったと反省します。お腹が空いたので夕食をいただきます。
Restaurantはそこそこ立派でPianoもあります。食事はBuffetですが、なんと食事中に生演奏を聴くことが出来ました。Rabaulで僕が泊まろうとしていた安宿より何十倍も良いhotelでした。これで、明日のRabaul巡りが無事に終えるなら、怪我の功名というところです。食事後、翌日の出発に備えて、早い時間に寝ることにします。というのも、Rabaul行きの臨時便は早朝4時に出発のため、hotelを2時に出発するためです。せっかくの良いhotelも十分に楽しめずちょぴり残念です。

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