Sydneyへ赴任して以来、街のいたるところで「ANZAC」という言葉や兵士の写真を見かけました。今日4月25日は「ANZAC Day」という、豪州とNew Zealandにとって1年で最も大切な記念日です。
早朝3時30分、まだ真っ暗な闇夜の中、Sydney中心部のMartin Placeにある戦没者記念碑(Cenotaph)のもとに、退役軍人をはじめ大勢の人々が集まってきました。

ANZACとは、Australia and New Zealand Army Corps.の略です。第一次世界大戦時に豪州の志願兵とNZ軍で結成された連合軍のことを指します。
豪州は1901年に大英帝国から独立しましたが、米国などのように搾取された植民地でなかったため、大英帝国の一員としての意識が強く、1914年に勃発した第一次世界大戦に際し「祖国が戦うなら我々も」と参戦を決めました。
ANZAC軍は大英帝国軍の一員として土耳古軍と戦うため、1915年4月25日未明にGallipoli半島へ上陸しました。しかし、上陸地点を誤ったため、待ち構えていた土耳古軍の攻撃により、3万3千人以上の戦死者(うち約4分の1が豪州兵)を出し、ANZAC軍は英国軍のために犠牲となり作戦は失敗しました。
ちなみに、ANZACがGallipoli半島へ向かう際に、日本帝国海軍の軍艦が護衛しました。当時の日本は豪州とNZに協力し、感謝される立場だったのです。

ANZAC軍の参戦と悲劇は、独立間もない豪州が、大英帝国から完全に独立し、一国としての自覚を持つきっかけとなったと言われています。豪州はこの戦争により初めて国際社会に登場し、戦後に国際連盟への加盟を果たしました。
4月25日は豪州にとって、米国の独立記念日(7月4日)や仏蘭西の革命記念日(7月14日)のような建国記念日にあたる重要な日なのです。
この日は豪州全土で、記念式典や行進などが行われ、第一次世界大戦で勇敢に戦ったANZAC軍と国の為に活躍した人々への追悼が行われます。また、第二次世界大戦後は、第二次世界大戦、朝鮮戦争、越南戦争などこれまでの戦争に参加した全ての戦没者の方への慰霊が行われています。
SydneyでのANZAC Dayは、Martin PlaceのDawn servicesで始まり、ANZAC軍がGallipoli半島へ上陸作戦を開始した午前4時15分に式典が開始されます。

厳粛な雰囲気のdawn servicesに参加でき、貴重な体験でした。意外にも若い人たちがたくさん参加し、涙を流している方もいたこと、そして退役軍人たちがとても尊敬されていることなど、国と国を守るために尽力した方々を大切にする豪州人の愛国心の高さに感銘を受けると同時に、日本における自衛隊の扱いに想いを馳せると悲しくなりました。
式典の最中、Projection Mappingにより、建物にANZACにまつわる映像が映し出されます。この建物は、Sydney中央郵便局(GPO)前にあり、僕が勤務する一般財団法人が入っています。

LEST WE FORGET
第一次世界大戦当時の通信手段は電報で、ANZAC軍の戦況が豪州大陸に最も早くもたらされたのは、Sydney中央郵便局(GPO)でした。そのため、戦没者記念碑は中央郵便局の前に建てられたそうです。

物悲しい響きのbagpipeで演奏された「Amazing Grace」がとても美しく、心を打たれました。

ところで、北朝鮮は今日25日、朝鮮人民軍創建85年の節目を迎えました。米国は朝鮮半島近海に原子力空母を中心とした第1空母打撃群を派遣し、北朝鮮が核実験などの挑発に踏み切れば、朝鮮半島で戦争が勃発する可能性が十分に考えられます。北朝鮮は豪州も名指しで威嚇しています。豪州本土が被害を被ることはないでしょうが、日本が心配です。豪州で、朝鮮戦争における戦死者の霊が弔われ、世界平和への祈りが捧げられている時に、朝鮮半島では再び戦争が始まるかもしれず複雑な気持ちです。

